ホ−ム・ビデオが誕生して、映画は家庭で観れるのがあたりまえの時代になった。そ
の昔、映画は映画館で観るのがあたりまえの時代に、スタンリ−・キューブリック氏
の作品「時計じかけのオレンジ」を観た。私はそこにあらわれてくる場面の美しさに
衝撃を受け続けたことを鮮明に憶えている。連続性をもって流れていく映像のなかで、
いくつもの場面が静止画像のように、私の脳内に記憶され続けた。未来を想定した場面構成が巧みで、最後に「本物の悪党は生き残ってしまう」映画の 結末を暗示させるためにか、美しくモダンな室内インテリアや、登場人物たちの服装 などにシニカルな要素もふんだんに取り入れてあったのだが、それでも終始一貫した 美しい映像であった。 その徹底した人工的な雰囲気は、プラスティックくさくもあったし映し出される木々 や土なども人工芝の匂いを強く感じさせるものであった。 登場してくるものみな全てが一種共通する要素をもちあわせたオブジェと化していた ように思える。 この映画の重要な要素のひとつに色彩の際立った効果があげられる。色の好みは千差 万別であるから、絶対的美学というものがどの程度大衆に受けいれられるものかは疑 わしい。 しかしながら、あらゆる芸術家たちにとって大衆とは常に相対するもの、すなわち敵 と呼んでも少しの支障もないはずのものである。 そのように考えてみればみるほどに、キューブリック氏のなしとげた色彩の心理学的 な効用に唖然とするのである。 なかでも随所にあらわれた鮮血のような赤い色彩に、私は気絶寸前に魅了された。 文句なしに美しい「キューブリック・レッド」であった。 いささか唐突ながら、今回のダイガの写真にも色彩の効用がほどよくなされているの を感じて、昔の映画を思い出したしだいである。 写真には、色がついていたほうがよいとは断言しようもないが、今日私たちをとりま いている「色の洪水」を排斥すればよいというものでありえようはずもない。 いうなれば「色に溺れず、色を捨てない」ということになろう。余談ながら、このこ とは「女であることを売らないが、けっして女を捨てない」という私の行動の美学に も通じるものがあると自負している。
|