光学的な原理によって歪められた映像のことを「ひずみ絵(または歪像)」という。 わたしが、たいていの場合には興味を惹かれない建築写真のなかに、ある一点の映像 に、かくも心を奪われた理由はそこ(歪像)にある。建築途中の都庁舎上に、いみじ くも写し出されたクレ−ンが歪められた十字架のようにみえる。実在している窓ガラ スのなかに、湾曲した姿で定着している窓ガラスも見ることができる。実際には、ガ ラスのなかの映像は束の間の夢にすぎないのだが、わたしには歪像がつぶやきかけて くるように感じられてならないのである。 人間が、ひかえめに世界の一部となりうる日は来るのであろうか。21世紀へ向けて 大自然の声なきつぶやきは、ひとりでも多くの人びとに受けとめられてゆくのであろ うか。それはいかにも心許ない祈りではあるけれども、わたしは信じたい。この世界 に最後のときが訪れても、それは決して正しいことではないのだと、そして絶望に近 い深淵のなかで多くの人間が、まさに人間らしい知恵と勇気を駆使し続けていたのだ ということを・・・ 都庁舎の一連の作品は、そのように世紀末的な思想を改めてわたしに与えてくれたの である。この日本において、今、世紀末を考えることは大切なことであるとわたしは 思っている。
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