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不穏な事件が多く発生した夏でした。
7月、8月と更新を夏休みしていましたが、9月11日に新しいシリーズ The Memoirist's Art をスタート致しました。
アメリカのニューヨークやワシントンなどで起きた、同時テロのニュースを明け方近くまで見ていました。12日の夕方(日本時間)になると、世界のいたる場所で、ひざまづき、祈る人たちの姿も映し出されました。 ( 2001.9.13 川村法子 )
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美しい季節になりました。 前回の[ My Heart Beat in the Big City ] 同様に JavaScript を使っての自動スライドショウによる閲覧となっております。 ご感想などをお寄せくださる折には、お手数ですが、ご使用のコンピュータ、ブラウザ、回線の状況、閲覧場所(ご自宅or職場...)をお書き添えいただけますようお願いを申しあげます。
今宵は満月の夜(記憶ちがいでなければ)のはずです。 ( 2001.5.7 川村法子 )
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2001年、21世紀最初の春を東京で過しています。 昨年6月以来使用していた、コンパクトデジタルカメラ[IXY-Digital]に変わって、先月3月半ばより、[FinePix6800z]を使用し始めました。新シリーズの画像は全て、この新しいデジタルカメラによるものです。毎日、いろいろな状況での撮影に励んでいますが、使いこなすまでには至っていないようです。 今回のシリーズでは、私の現実のなかで存在していた[物理的存在]を、出来る限り純粋に[視覚的ヴィジョン]として皆様に体験していただきたいと考えて、JavaScriptを使って自動スライドショウにしました。
今回のシリーズを製作中にも試行錯誤は続きましたが、いつも最後には同じ思いのなかへ循環してゆくようでもあります。東京では、染井吉野は美しい新緑へとその花の姿を移して、遅咲きの八重桜が香しさを誇り始めています。 ( 2001.4.16 川村法子 )
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今回、最終章をUPした三部作 A Passing Dream は、真剣な(?)恋愛感情を根幹において、 どうぞ、最終章の CIRCULATE をご高覧ください。
ある昼下がりに、私は都心のレストランにいました。 私にはそのとき、空に垂直に伸びる木の幹としなやかな自由さをもって揺れる木の枝とが踊る人間のように思えました。 (はたして木は生命のダンスを踊っているのか、それとも踊らされているのか...) その姿は、私を現実から解放するための隠喩(metaphor)のように感じられました。 (けれど私の現実とは一体何なのか....)
そこにとどまることが、穏やかな安定した日常を約束しているかのように信じられた生活の始まりを振り返りました。 私は、私の日常の場に於いて、この身を根絶やしにすることを正しいと信じるよりないのかもしれません。 ここを捨てて逃れたとしても、この場をなかったことには出来ないでしょうし、記憶の凍結を永久に試み続けることも不可能のように思われます。
ある種の安定(?)を約束された生活の場とは裏腹にある、愛する人を求める精神は、宙をさまよい続けます。
愛する人の姿を目前にして、やがてはそれを失うことを知るとき、その肉体が不滅ではないことを垣間見るとき、人は、私は... この切なさー苦しみこそが、人を捕らえて魅惑し続ける不滅の誘惑のように思うのです。
儚くて、到達しがたくて、めぐりめぐってゆく束の間の夢をあなたと... ( 2001.2.23 川村法子 )
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