窓 辺 に て1998年11月30日、父が逝った。
仕事に行くため玄関で靴を履いたとき電話が鳴った。実家の弟からの報せであった。彼は<救急車が来ているから急いで>と言っていた。
私が着いたときには、父はすでに救急車のストレッチャ−の上に寝かされていた。
その着衣も時計も緩められており、酸素マスクを付けられながら心マッサ−ジを受けていた。私は救急隊員の顔に諦めの気配を見たように感じながらも、T医大の救命センタ−へ運ぶ段取りができたことに安堵していた。救命センタ−まで持ちこたえてくれたら、必ず助かるだろうと甘い考えを持っていた。救急車はサイレン音と対象的にのろのろと街を走りだした。月末の道路は渋滞しているらしかった。窓の外の歩行者や自動車が断片的に視界に映りこんでくる。私が急いでいるのとまったく無関係な緩慢な彼らの動きに苛立ちを覚えた。街路樹はまだ散ってはおらず空はひくく、日は弱かった。
救命センタ−の入り口には、4名の局員が待機していた。彼らが救急車へ向かって一礼したのは隊員への挨拶にすぎなかったのであろうが、私は父の死を予感し始めていた。
あらあらしく運びだされるストレッチャ−上の父は、ようやく救命センタ−の処置室へ着いたのだ。医師や看護婦の動きから、私は再度父の死を予感していた。そのころ弟は、家族たちに<父は助かる>と電話をかけていた−そして誰もがそれを信じていた。中堅の医師は諦めていたが、若い医局員たちは、交替で心マッサ−ジにあたっていた。入室してきた弟の必死の様子が、彼らを動かしたのだろうと思う。弟は救急車が来るまでの間、自ら人工呼吸と心マッサ−ジをほどこして救命にあたっていたのだった。
中堅の医師は、家族に死亡を伝えるタイミングを見計らっていた。気道切開も試みたが結果は無駄であった。若い医師に心マッサ−ジを停止するように、中堅医師は再度サインを送っていた。けれども、若い医師は決してマッサ−ジを停止しようとしなかった。
私は、父に寄り添い必死に蘇生を念じている弟と、若い医師たちを見つめていた。戸惑いを隠せない医師と目があった瞬間、私は父の死を確認した。弟と若き医師たちを制したときに、弟は私を見上げた。その瞬間の、彼の驚愕の瞳を忘れることはできない。機械のスイッチが切られたときに、医師は時計を確認した。
死体となってしまった人間は、治療室にはいられない。それが病院の規則なのだ。私は医師と看護婦たちと共に、父の遺体を洗浄した。そして、父を霊安室まで運んでいった。
1998.12.30 川村法子
お知らせ
メ−ガスの更新が大幅に遅れていますことをお詫びいたします。
定期的にご来訪いただいている皆様を失望させているであろうことが、心苦しくてなりません。去る11月の川村法子写真展に寄せての感想なども沢山頂戴いたしております。
真摯に読ませていただいていますが、お返事が遅れていますことも、ここでお詫びいたします。いま少しのご猶予をお願い申し上げます。
1998.12.30 川村法子
編集の合間にLove is action−という言葉が、ふと心をかすめました。
マザ−・テレサが亡くなって一年が過ぎ去りました。マザ−が来日した折りに日本についての感想を求められたとき、<物が豊かに溢れている国、でも心の貧しい国>と云われたそうです。
私は今、ガラクタが溢れている自宅の一室でこれを書きながら、貧しさに負けない心を持とうと、自らを叱咤激励しているところです。<私がなぜここにいてあそこにいないのだろうか?>
<なぜあの時にいなくて、今いるのだろうか?>というパスカルの思想に囚われている私は、架空の空間での作品発表に力がこもっています。現在、現実空間での個展の準備にかかっていますが、現実は辛く厳しい所です。
今年は、図らずもメ−ガスの3人が、現実空間の場でも個展を開くことになりました。先の二人に恥ないように、川村法子・生命がけのイリュ−ジョンです。来年の2月には、メ−ガス展(仮称)を現実空間へワ−プする予定です。
スポンサ−を常時大募集していますので、ご一報いただければ幸いです。
1998.9.28 川村法子
謹賀新年1998年が始まりました。《表現》の世界に身を置く人たちと何を視て生きてゆく ことになるのでしょうか。
私たちの後には、それぞれの時の轍が見えるはずです。けれども、人は誰も思い出の 中に沈んではいられません。多くの賢者たちが、踏み固めた時の轍を栄養素に変えて、 新たなる轍を踏みならしてゆかねばならないのです。
私たちの世界には、まだまだ未知の事物が数多に存在しています。
あらん限りの想像力を駆使して、先へと歩みを進めましょう。
感情によるだけではなく、私たち人類の知力によって、まさに人間としての轍を現に 存在させてゆかなければと考えるのです。どうぞ、今年もお励ましのほどをお願いいたします。
1998.1.1 川村法子
12月創刊号についてようやく発刊にこぎつけました。 はからずも、谷口 雅 氏から素晴しい評論の寄稿を受け感激しております。 これを励みに、内容の充実に努めていきたいと考えています。
ご支援よろしくお願いいたします。
1997.12.吉日 川村法子